頭が悪いから貧乏になるのではなく。

頭が悪いから貧乏になるのではなく。

2022/4/14

ようこそ、#えんどうnoteへお越しくださいました。

どうも、えんどう @ryosuke_endo です。
また刺激的なタイトルをつけた記事に釣られてしまった。
しかし、釣られてみたところで話をしているのが中野信子と和田秀樹といったしっかりと根拠に基づいた発信をしている両名なだけに納得せざるを得ない。
上記のリンク記事内ではエジソンが述べている言葉(「私は人生において失敗など一度たりともしていない。この方法ではうまくいかないということを発見してきたのだ」)を引用しているが、別の有名な言葉に「99%の努力と1%のひらめき」がある。これは1%のひらめきを生むためには99%もの努力が必要だと説いていると思い込んでいる人が多数派だろう。
まったく違う。
Thomas Alva Edisonは、1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄になると述べている。大事なのはひらめきであって努力ではないと断じている。きちんと調べれば出てくる情報だが、耳にしたくない人たちは努力を大事にする姿勢を評価しているし、評価されたいと思っているのだろう。
そんな意味でも、今回の話題は少し耳の痛い話を取り扱ってみようと思う次第である。

▶︎ 頭が悪いから貧乏になるのではない

ぼくの好きな実験に『**マシュマロ実験』がある。**子ども時代の自制心と将来の社会適正化の関連性を調査した著名な実験で、1960年代後半から1970年代前半にかけて実施された。
実験の概要としてはこうだ。
年少期の子どもが、気が散るようなものが何もない机と椅子だけの部屋に通されマシュマロを渡される。その時にこう言われるのだ。
「私はちょっと用事がある。それをキミにあげるけど、私が戻ってくるまで15分食べるのを我慢してたらマシュマロをもう一つあげる。私がいない間にそれを食べたら、二つ目はなしだよ。」
そこから追跡調査によって、マシュマロを食べてしまったグループよりもマシュマロを食べなかったグループが周囲からより優秀であると評価されていること、さらに大学進学適性試験の点数にはトータル・スコアで平均210ポイントの相違が見られた、というものだ。
つまり、我慢をできる人間かどうかが将来にわたって成功に近づけるための大事な素養なのではないかというのである。
一見すると最もな実証実験から導き出された結果のように受け取れるし、上記したエジソンの99%の努力話にも関連しそうな物な気がするため、かなり大きな市民権を得てきた言説だといえるだろう。
うん。そう、間違ってるのだ。

▷ 貧乏だから頭が悪い

後日(2018年05月25日)、ニューヨーク大学から「結果は限定的」と否定的な結果が出たことが発表された。
理由は、当初の実験対象者が「スタンフォード大学の関係者」に限定されていたため、より広範な被験者について再実験し、実験の結果について被験者の家庭や年収といった要素を合わせた複合的な分析が行われた結果、「2個目のマシュマロを手に入れたかどうか」は被験者の経済的背景塗装感が高く、長期的成功の要因としては「2個目のマシュマロを手に入れたかどうか」ではなく「被験者が経済的に恵まれていたかどうか」の方が重要だったことが証明されたためである。
つまり、頭が悪い(我慢ができる)≒努力が出ないから貧乏になるのではなく、貧乏だから頭が悪いという何とも救いようのない結論が証明されてしまったのだ。
この結果を聞いて胸糞を悪くした人もいるだろうが仕方がないではないか。
結局、経済的に貧困な家庭にあると長期的な視点を持った行動など取れない。目の前に食事をできる可能性があるのなら、全力で飛びついて日一日を真剣に生き残ることで精一杯になってしまうのは仕方がないことだ。
貧困的な家計環境にある子どもたちは、1個目のマシュマロを渡されて我慢したら2個目をもらえるということをウソだと考えてしまうのかもしれないし、2個目をくれる保証などないと考える。それに下手したら1個目すら奪われる可能性があると真剣に考えているからこそ、15分も待つだなんてことを実践するわけにはいかない。
それこそ、彼らにとっては自らを防衛することに必死にならざるを得ない家庭環境なのである。
そこから努力をして這い上がることができる人間もいるはずだ。日本の受験システムは、その観点で見れば公平だ。経済的な指標は関係なく、あくまでも試験結果のみで評価を受けることができる絶対的な指標だといえる。
それを見れば、決して経済的貧困家庭だからといって人生を唾棄すべき理由にはならない。

▷ 耳に痛い事実を受け入れる器量を持つ

ただ、問題なのは、この観点を持った人間は嫌われる点にある。おそらく「言ってはならない耳にの痛い話」だからだ。
努力をすればするだけ報われると思いたがる人たちは一定の割合で存在する。いわゆる自己啓発本に人生を委ねるような人たちだ。自己啓発本の大きな問題点は再現性のなさであることはいうまでもないが、そこに何の価値もないというつもりはない。むしろ、啓発されて行動をしはじめた結果、人生が好転しはじめるのであればいうことなしだろう。
だが、そこにだけ浸かっていてはダメだ。
人生は統計学的に進むものではないが、数値的・学術的な根拠をもとにして行動規範を捉えたり、傾向を掴むことは人生における幸福を獲得したい人間にとっての必須要件ではないか。
偏差値が高いことと頭がいいことは別だと表現されることがある。当然だ。
理由は上記してきた通りで、家庭の経済的な理由によって進学の選択肢が閉ざされた状態で生きなければならなかった人は低学歴で過ごすことを社会から強いられる。
学校へ進学するために学費を支払わなければならない構造である以上、その金額を飲み込めるだけの経済的な余裕がなければ未成年期の学歴を上積みさせることを諦めなければならない。
長期的にみれば、中卒や高卒より学士(大卒資格)をもっていた方が生涯賃金が多くなるのは事実だから、その道に進んだ方がいいことは一目瞭然だ。しかし、それが許される家庭と許されない家庭があることもまた事実で、その選択ができない家庭環境にある人たちは少なくとも選択肢が一つ抜けた状態で人生を設計していかなければならない。
社会構造として「選択できない」ことは是正されるべき問題だといえ、学費の免除や奨学金が実質的に学費ローン化していることの是正を進んでいくことを期待したいところだが、シルバー民主主義化している日本で実現するのはいつになることやら...
そんなわけで繰り返しになるが「頭が悪いから貧乏になるのではなく、貧乏だから頭が悪くなる」なんて救いようのない事柄を許容できる人が増えれば、もしかしたら日本も良くなるのかもしれないですな。
ではでは。
えんどう

▶︎ おまけ

▷ 紹介したいnote

「成長するための環境が整っていたのか」この点に尽きる。知能が一定水準で遺伝することまでは証明されているが、同時に、経済的な環境が整っている場合には教育的な側面で影響を与える比率が高いこともまた証明されている。ただ、日本は総じて貧しくなっているのも事実である。
ぼくは論破をしようと思って論破を楽しんでいる人がいるとしたら、非常にさもしい精神的な貧困に喘いでいる人なのだと理解している。だって本当に頭のいい人であれば論破をすることがどう考えても効率の悪いことであると思えるはずだからだ。
ある研究によると、雨乞いはこれまで7割ほど成功しているとされている。到底考えられないことだと思うが、簡単なことである。雨が降るまで雨乞いをしているからだ。このように因果関係をきちんと整理しなければ論点がおかしくなることもあるので注意したい。

▷ 紹介したい関連書籍

以前にも紹介した気がするが、何度も紹介しているってことはぼくのお気に入り書籍である可能性が高いことを汲んでもらえると助かる。それだけ根拠ってのを大事にしている人なんだと理解してほしい。

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