コストパフォーマンス(コスパ)を重視することって大事なのか会議

コストパフォーマンス(コスパ)を重視することって大事なのか会議

2022/4/11

どうも、えんどうです。

どうも、えんどう @ryosuke_endo です。
ぼく自身がそれを求めてきたこともあるし、多くの人たちが「よし」としているはずだ。コスパが悪かろうものであれば否定的な物言いをして商材や事業者を否定する材料とする場面を見てきた。
コスパがいいことは「値段の割にはいい働きをする」とか「安価なのに素晴らしい」といった事業者努力を労う意味で使われるものだろうが、よくよく考えてみるとコスパがいいことは果たして誰にとっていいことなのかわからなくなる。
コスパがいいことを求め続けることがいいことなのか、なんてことを議題にしたひとり会議をはじめる。

▶︎ ケチな客にはなるべきではない

コスパを求める姿勢は、それを占める大きな要素である「人の労働」を見ていないケースがままあるのではないか。少なくとも想像をしている人間は少数派だろう。コスパを求める人たちは、ぼくを筆頭にしてがめつい人間であることが多く「損をしたくない」という具合に硬直的な姿勢を見せること自体が得意な人間だ。
日本経済は他国と比較して優位な気分になっているかもしれないが、GDP(国内総生産)が世界3位だからと安心できるような状態ではない。各国ごとの物価を勘案し調整してみると2009年にインドに抜かれて世界4位となっている。
それだけではない。
国内の一人ひとりの経済活動を見るための「購買力平均換算」で見てみると世界第30位で、小規模国家と比較するのもどうかという点は差し引いたとして「経済大国」であるといえるのかと言ったら正直なところ微妙だろう。
つまるところ、みんなでケチになっているのだ。ぼく個人の感情としては「コスパを求め続けるケチな生活者」になりたくはない。評価されるべき対価にはきっちりと支払いたいし、支払える金銭力を備えていたいと心底考えている。
ケチな客になるべきではない。

▷ 他人の労働を安く見積るケチなやつ

商材を価格を中心に評価する態度は、最終的に人間関係を金銭換算することにつながる。
たいてい、人間関係を金銭感覚で見ているような輩は他人の労働をバカにしているし、そもそも労働をバカにしているのかもしれない。知らんけど。
そういった人間とは関係を持ちたくはないものだ。もちろん、コスパを求め続ける姿勢自体を否定するものではない。そんな生き方があったとしてもいい。それを否定するつもりはない。ただ、友人や知人として交友を継続的に続けていきたいのかというとそうではない。他人の労働を安く見積もるケチな奴とは一緒にいても腹が立つだけで、つまらないだろうから一緒にいようとは思えない。
極端なまでに、とまではいかなくても常にコスパを求めるような態度や姿勢を持っている場合、「見合った対価とは何か」を少しの時間でもいいから考えるようにしたいものだ。
生活者側でいう「コスパがいい」状態とは、事業者側でいう「身銭を切るような企業努力」を指すものだ。それに耐えられなくなった事業者が何をするのかといえば、内容量自体は変えずに内包されるサイズや量を少なくするようなステルス値上げと呼ばれる行為に走る他にない。
各商材に見合うだけの対価を支払うことは、結果的に中で働く人たちに向けての適切な対価の支払いにつながる。自分の給料が低いのは、自分がコスパ重視する生き方を邁進しているからであるかもしれないのだと想像力を働かせるだけでいい。少し立ち止まって考えてみるのだ。

▷ 価値に見合った対価の重要性

価値に見合った対価が支払われるようになったら何がいいのか。
少なくとも中で働く人たちの生活が充足する。労働に見合った対価が支払われるようになるのだから、給与が増えるだろうし増えた給与から購買するものが増えたり質がよくなったりするだろう。
生活をする上でコスパを求めることは、回り回って自分自身の労働を否定することになりかねない。労働を愚弄するというよりも人の価値を否定するとすらいえるかもしれない。それだけ価値に見合った対価を支払うことは大事なのだ。
繰り返しになるが、高いコスパを求めることは原価となる人の労働を無視したような態度をとっているといわざるを得ない。もし、中の人が自分にとって大事な人だったり、親類縁者や友人知人だった場合、あなたは同様にコスパを重視するような態度を取るだろうか。
コスパがいい商材やサービスを求め続けるような姿勢をとることは、中で働く人たちの尊厳を踏み躙るような態度なのではないか。それをいつまでも繰り返すことを自分自身に許容していいものなのか。
「別に関係ないじゃん」
そういえる人はいいかもしれないが、少なくともぼくは自分が行った労働や工数への対価は支払ってもらいたいと思うし、それを安く見積もってくるような人には「自分でやってください」という他にない。

▷ 提供する事業者も価格に反映させるべき

安くていいものを提供できること自体はすばらしいことであるとは思う。しかし、それによって中で働く人たちの工数が蔑ろにされるのであれば避けるべきだ。
安くてこき使われるような労働体系になっている場合、いくら大義や意義のある理念を記載したところで中の人たち的には鼻をほじる態度に繋がりかねない。事業者が労働者を安くこき使いたい気持ちはわかるが、それを繰り返していては豊かになるものも豊かにならないではないか。少なくとも精神性における貧しさみたいなものから脱却できない。
価値に見合った価格を設定することは「他社にとっての顧客」を醸成することになるのだ。他社が利益を上げられるような状態を構築することは、回り回って自分たちの事業の顧客を醸成することにもつながるだろう。
総じて、日本全体が豊かになればなるほどに自分たちにとっても堂々と商売をできるような状態になる。だからこそ、多くの事業者が中で働く人たちの工数をきちんと折り込んだ適正な価格を提示すべきだし、購買する生活者の側もその価格をきちんと享受すべきだ。
それができないのであれば、経済的に貧しいばかりではなく精神的にも貧しい国になっていくだろう。すでにそうなっているかもしれないが、今からでも挽回していくことを目指していった方が誰にとっても有益な生活になるのではないか。
コスパを求めるよりも、中で働く人たちに見合った対価が支払われることを切に希望する。最低時給で働くような人を減らしていくことは、回り回って豊かな国をつくることの大前提だろう。
そんなわけで、価値に見合った対価を支払続けようと思う次第である。
ではでは。
えんどう

▶︎ おまけ

▷ 紹介したいnote

結局、コスパを繰り返し求めることは余白や余裕のない人が多数存在することを意味するのだろう。悲しいことだと思わないか。

味わい深い文章で何度も読み返してしまった。コスパを求めることは何かしらの工程を省くことで成り立つわけだが、省かなくていいところまで省いていないかを検証する必要はありそうだ。

プロ奢ラレヤーさんは、なんというかコスパなど度外視した生き方をしているが、追いかけていると実はコスパが悪いことを隠しているのかもしれないと思えてくる。知らんけど。

▷ 紹介したい関連書籍

本当にこんなものが商売として成立していたのかどうかは知らないが、少なくともそう思えるだけの時代背景がある。そう思わせるだけでコンテンツ自体に価値があるのだ。


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