どうでもいい商材をどうでもいいと思っている人がしょうもない投稿をすることについて

どうでもいい商材をどうでもいいと思っている人がしょうもない投稿をすることについて

2022/4/16

ようこそ、お越しくださいました。

どうも、えんどう @ryosuke_endo です。
インフルエンサーと関係がある人たちはどれほどいるのだろう。少なくとも、ぼくはインフルエンサーでもなんでもない。インフルエンザなら罹患したことがある。しかも、「インフルエンザには罹患したことがない」と豪語した翌日に罹患するっていう情けなさである。
名前を呼称する度に舌を噛み切ってしまうのではないかと思えるようなきゃりーぱみゅぱみゅがインフルエンサーの実態や事業者からのギフティング等の慣習について筆舌鋭く切り込んだ記事がネット上で大いに話題だ。知らない人は以下にリンクを貼っておくので社会現象に向き合う意味でもリンクを踏んで読むべきだといえる。(アフィリエイトなどではないので安心してほしい。ただの記事リンクだ。)
改めて、きゃりーぱみゅぱみゅ自身の論理的な帰結を導き出すだけの文章展開に舌鼓を打つだけでなく、”ことばえらび”や表現の仕方も含めてセンスの塊だとしかいえない点に大きな衝撃を受けた。
彼女は間違いなく傑物であることに疑い用の余地がない。
で、だ。
文の冒頭に出てくる「フォロワー数の多くないインフルエンサー」なんて表現が、あまりにも闇の深さと同時に承認欲求に塗れすぎている人たちの|性《さが》を映し出しているように見受けられるため、非常に物悲しい気分になる。
インフルエンサーなんて存在に懐疑的な人たちに向けて「そういう仕事もあるんだよ」とか「そういうことも仕事として成立するんだよ」なんてことを記載することに合わせつつ、インフルエンサー信奉主義者の方々に向けて「もうちょっとよく考えなよ」といった趣旨の文章を書こうと思う。
まぁ、書いたところで届かないのだけど。

▶︎ ぼくは #PR をなくしたい派閥である

根本的に、 #PR とついている投稿や企画などは撲滅したいと思っている派閥だ。
もう、なんというか広報だとかPRの領域で仕事をしたり、そこに魅力を感じている立場としては完全にポジショントークなのは理解しているものの、PRをバカにしているのかといった何とも情けなくも悲しい気持ちになる。
PRは単なる宣伝広告活動として捉えられるべきものではなく、主体となる事業者やサービス提供者、発信者との間で起こる関係づくりの過程、つまり意思疎通を図るものだ。
その過程で課金された広告が無駄だとか、広告自体がなくなるべきだなんてことは述べるつもりはない。広告だって大事な意思疎通の手段であり、認知を得ていくためには有効な手法である点を無視するつもりは一切ない。
ところが、広告領域で金銭的な契約を結んだ上でそれらしく振る舞ってもらい認知を獲得していこうとしつつ、あわよくば購入にまで至ってもらおうとするインフルエンサーマーケティングと呼ばれるものは、はっきりと #AD (advertising:広告) や #広告 とつけるべきだ。
#PR とつけてはお茶を濁すような態度をとることは生活者を愚弄する態度であり、ちょろまかしてやろうとか騙してやろうみたいな姑息な態度を感じざるを得ない。

▷ 広告が効きにくくなってきている

いわゆるインフルエンサーと呼ばれ多くのフォロワーを抱えるユーザーに向けて金銭的な対価を支払いつつ、自社のサービスや商材を宣伝告知しようとする姿勢や態度を取ろうとする背景としては通常の広告が効きにくくなっているためだろう。
上記しているように、広告へのネガティブな印象を持っている人たちが多数派になってきていることを示唆する調査は枚挙にいとまがない。
これらの情報を事業者側も十分に把握しているからこそ、人気者であるインフルエンサーを利用して広告的によきものである点のみを強調する姿勢を取ろうとした結果、金銭的な契約によってどうでもいいクソみたいな #PR 案件が爆誕してしまうのだ。
よくよく考えるべきは、それまでマス媒体に広告を出稿する際に媒体特性などを踏まえて広告を出稿するような態度は変わっておらず、その媒体がsocial mediaに変わっただけでしかない。
たとえば、TVCMで「この時間帯は家族が全員揃った状態でテレビを視聴するゴールデンタイム」だとか「主婦層が視聴している時間帯」みたいに雑な切り取り方をした上で広告を出稿するものとインフルエンサーが抱えているフォロワー数は〇〇で、その属性は20代から30代の前半です。
こういった情報になんの差異もない。ただ媒体と発信方法が変わっただけで、本質的にユーザーを属性値からしか見ていないことを露見する姿勢だ。
そう、つまり、インフルエンサーを利用してユーザーと信頼を醸成しようだとか関係を構築していこうだなんて微塵も考えておらず、結局は資金換算するための母数ぐらいにしか思っていない。
しかし、本質的におこなっているのは広告を出稿するものとなんら変わりはないため、ただただ、資金が浪費される悲しい結末しか起こらない。

▷ 認知はされても購入意欲にまでつながらない

結局、そんなコミュニケーションを図ろうとする態度に終始してしまうことは本質的に商材を試みる態度や姿勢が欠如しているために、どうでもいい商品をどうでもいいと思っているユーザーであるインフルエンサーがしょうもない投稿をしてしまう地獄がひとつ出来上がってしまう。
インフルエンサーと呼ばれる人たちが、いくら好意的に投稿したところで認知を獲得できたとしても本質的に「好きになってもらっていない商材」を語っている以上、なんの関係構築もできていない。
その先にいるインフルエンサーをフォローしている人たちにも認知はされるかもしれないが、購買購入にまで至る意欲を掻き立てられるのかといったら、そうはならないだろう。
購入にまで至らなければ事業者側としても売上が立たないわけで、かけた広告費に対する採算が取れなくなってくるわけだが、どうでもいい商材をどうでもいいと思っているユーザー(インフルエンサー)がしょうもない投稿をしてしまう地獄と相まって、御涙頂戴の悲劇が完成する。
ぼくたちはあらゆるレビュー(口コミ)サイトを閲覧することができ、そこでの評価を間に受けて訪問したり購買したりする査定基準を設けている。そこには信頼のおけるユーザーであるのかどうかや、口コミの内容が感情的ではなく理路整然とされているのかどうかも含めて検討する。
そこから考えると、いくらインフルエンサーだからといっても投稿内容自体が理路整然としていなければ購入しようだなんて一切思わない。もし買ったことがあり、そこに満足しているのだとしたら、大半はその商材が好きなのではなく画面越しに見ているインフルエンサーが好きなのであった、商材やサービス自体が好きになったのではない。

▷ 好きになれるものを提供することと好きになったことを投稿すること

金銭関係による商材やサービスの提供と、それを告知することがダメなのだとは思ってもいないし述べるつもりもない。繰り返すが、広告自体を否定するつもりは一切ない。ぼくが否定したいのは、どうでもいい商材をどうでもいいと思っているユーザーがしょうもない投稿をしてしまうことである。
ネット上に、この投稿された文章のようにゴミが一つ増えることを金銭契約によって生み出されることの無情を嘆いているのであって、その先にある #PR とタグづけされてしまうことへの憤りを表現しているだけだ。
広報活動だとかPR活動なんてものは、かなり地道で苦労の多い上に正解も何かはわからない中で奔走しなければならない苦行の側面がある。直接的に営業数値が上がるわけでもなければ、経費削減となる金額の指標を設けられるわけでもない。
だが、それらを間接的に増加させたり低減させることにはつながることは明白だ。そこに結びつけて指標を設けられているのだとしたら、かなり強みを持った事業者だといえるだろう。
では本質的に事業者の強みとは何か。
そんなもの決まっている。ステキな商材を生み出すことだ。誰かが好きになってしまうような機能や見た目を持つ魅力的な商材やサービスを提供することでしかない。見た目が悪かったとしても、熱量を持って応援してくれるような人が生まれる商材であれば何の問題もない。
仮にインフルエンサーと呼ばれる人に投稿をしてもらいたいと願うのであれば、その商材を好きになってくれている人を探すべきであり、インフルエンサーと呼ばれる人たちも同様に好きなものだけ応援したいと思えるものだけを扱えばいい。(聡明なインフルエンサーたちはすでにそうなっているように見受けられる)
まぁ、どうでもいい商材の広告としての投稿なんて長続きしないだろうし廃れていくのだろうから放っておいてもいいのかもしれない。
だったら余計に #PR ではなく #AD とか #広告 と表記すべきだ。
「これはお金を支払って出しているしょうもないものなのです」と真摯に露呈させるべきだろう。
#PR とつけて、なんだかそれっぽくすることは、もう大人の事情を存分に醸し出されているのが存分にわかる態度で、それに加担したいと思えないぼくはピーターパンなのかもしれない。
そんなわけで、ワクチン接種の副反応に溺れることにしたい。
ではでは。
えんどう

▶︎ おまけ

▷ 紹介したいnote

りょかちさんの投稿もまさにそれなのであるが、すごいよね。ここまで理路整然と文章を組み立てて書けるからこそ2万ものフォロワーがついてくるのだ。あおちゃんペみたいなギャルインフルエンサーでも、Abema primeでの話し方なんて見ていると圧倒的にすばらしいので、そういう素養を持っている人だからこそインフルエンサーたり得るんだろう。

“「いかにもな人」を見つけることが成功の鍵である”とえとみほさんが記載している通り、いかにも使ってそうな人を模索することにこそが「違和感を醸成しない」ことにつながるのだ。もう、なんていうか残念な気持ちになる投稿を目にしたくないものである。だったらsocial mediaをやめろって話か。そだな。

タイトルの付け方にあざとさを感じるものの、こうやって製品を愛する姿勢を多くの人に届けたいと思う姿勢には感嘆とするばかりだ。もう、なんていうか画像も含めてテキストも好きだ。そう、好きになったからここに紹介している。好きなのだ。

▷ 紹介したい関連書籍

実家が全焼したサノ(@sano_sano_sano_)さんは、ぼくの非公開リストでしっかりとウォッチをしているユーザーであるが、もうこういう人が大好きなのである。そう、大好きなのだ。

▷ えんどうのTwitterアカウント

僕の主な生息SNSはTwitterで、日々、意識ひくい系の投稿を繰り返している。気になる人はぜひ以下から覗いてみて欲しい。何ならフォローしてくれると毎日書いているnoteの更新情報をお届けする。

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