SNSが仕事になる時代だからこその価値を確認したい

SNSが仕事になる時代だからこその価値を確認したい

2022/3/30

枕にかえて

どうも、えんどう @ryosuke_endo です。
influencer(インフルエンサー)と呼称される人たちがいる。影響力を及ぼす人や事物のことを指し、世間に大きな影響力を持つ人々のことを示すものだ。インターネットが普及し、多岐にわたる種類のソーシャルメディアが誕生したことによって個人のメディア化が可能になった。
それまで大衆が情報を得るために活用していた新聞やテレビにラジオ、雑誌といった、いわゆるマスメディアと呼称される各種媒体は対象が多数であることを前提にしていたことから、数千人、数万人規模の小さいながらも活実に存在する層に向けて突き刺すような情報を出すことが困難であったが、話題や興味関心ごと、ひいては居住地や就労地といった属性ごとに情報を届けられる可能性が高い人材が活躍できる土台がソーシャルメディアの登場によって築き上げられた。
それまでに大衆に向けて情報を放つ役割を担っていた各種メディアが広く薄く拾い上げなければならなくなった情報を、個人で収集を熱望する人たちがおり、その人たちから相応の価値が認められれば数千、数万、数十万単位の人たちが投稿を気にする、つまりフォローをすることが可能となる。
実際、”決して多すぎることはない”の人たちが認めた価値を提供している人の投稿や言動などの「発信内容」から話題とする素地を投下した結果、規模の大小を問わなければ、あらゆる潮流が立ち上がる契機となっている。
いわゆる個人の媒体化(メディア化)を具現化するような動きが活発化する中、個人や企業はどう向き合っていけばいいのか、考えたい。

▶︎ 個人の媒体化(メディア化) ⇒ 個人広告媒体化

influencer(インフルエンサー)と称される多くのフォロワーを抱える、”ある”ユーザーアカウントを運用する者は、個人がメディアとして機能する時代に応じて誕生した存在であることはすでに記載した通りである。
その時代にあってか、ここ最近では「会社所属公表アカウントの実名化」もベンチャーやスタートアップ企業といったノリノリで潮流に乗ったり作り出そう、生み出そうとする人たちの間では標準装備といえるような状態になりつつある。
インフルエンサーの誕生以後、「個人がメディアとして機能する」ことが証明された。そこから「個人の広告媒体化」が当然の帰結となり現在に至る。つまり、企業内で所属する個人が相応のフォロワーを抱えるようなメディアとして成立するようになればなるほどに広告宣伝費を投下しなくてもよくなっているのだ。(しなくていいとはいっていない)
それまでのマスメディアへ出稿する広告における精度は非常に曖昧で、媒体特性に合わせた読者層に当てることを「想定」して出稿されていた。それがあっていたのかどうかは定かではない状態で出稿されていたわけだが、インターネットの誕生により広告精度は飛躍的に向上することになる。
特にFacebookの広告は個人情報の宝庫といえる媒体特性から年齢や性別、居住地域や就労地域など、あらゆる属性をふるいにかけたターゲティングが可能となり、より企業商材に合致するユーザー向けに広告を出稿できる。
ある種、マスメディアへの広告出稿は相応の対価を支払えるだけの金銭的な余裕があることの裏返しであり、確実に購読をしている層が誰なのかまでを精緻に把握した上で出稿できるわけではない。また、Facebookへの出稿をはじめとしたネット広告への出稿とマスメディアへの広告出稿の間を埋めるかの如くインフルエンサーを利用する動きが活発になるのは必然的ともいえる。
広告だとあからさまなものも自然風味な投稿をすることで、大っぴらではないにしろ相応のフォロワーを抱えているからこそユーザーの購買意欲を掻き立てたり購買行動に走らせるだけの価値が彼らの「投稿」にはあると判断されているのだ。

▷ 「フォロワーがいる=インフルエンサー」ではない

案外、勘違いされてしまいがちだが、フォロワーが多くいるからといってインフルエンサーと呼べるのかというと、呼称できないケースがあることは抑えておきたい。
なぜなら、たとえばTwitterなどではフォローしまくり、相手からのフォローバックを期待する運用を行っているユーザーもいる。そのため、安直に「フォロワーが多いから」といって"影響力"があるのかというとそうではないケースがしばしばある。
いくらフォロワーが多かったとしても同等程度のフォローがあるユーザーだった場合、錯覚資産的にフォロワーを見繕う姿勢であることは否定できない。もちろん、純粋な運用方針としてフォローを返している可能性もあるため、結局は「投稿次第」となる。
投稿をしたものに相応の反応が見られるのか。反応が好意的なものであるのか否定的なものであるのか。いずれにしても「反応がある」のと「反応がない」のとでは「影響力」の観点で雲泥の差があるのはいうまでもないだろう。
ただ、企業の実名+顔出しアカウントを運用する点においては有効な手立てであると見れることもある。なぜなら、ベンチャー企業やスタートアップ企業は地域における知名度が圧倒的に低いことから優秀な人材の確保に向けた広告出稿費を捻出することすら難しい。
そこで「中の人」が顔を出しながら実名を曝け出すことによって広告宣伝費を引き下げつつ、会社の認知や取り組んでいる内容を喧伝するためにはフォローとフォロワーの関係が多かろうが、少なからず認知を得られるのであればいいのだから気にしなくていいと考えられる。
実際、知名度の低い地方の創業間もない小規模事業者は、代表者だけでなくスタッフや最近ではインターンに至るまで顔出しと氏名出しをしながら懸命に喧伝する様子がそこかしこで見られるようになってきた。
その様子を遠くから眺めている限り、どうやら重要な視点が見落とされているのではないかと思う場面も少なくはない。それはそのアカウントの帰属先が「個人」なのか「法人」なのかといった込み入った話に及ぶ。

▷ 企業公式の軟式アカウントから個人の実名顔出し運用の資産問題

SHARP @SHARP_JP やNHK広報局 @NHK_PR など、投稿内容が柔らかく公式なのに「硬式球のように硬く(堅く)ない」運用をすることから「軟式」アカウントと名づけられる公式アカウントが生まれるようになって以降、「中の人」運用は企業のソーシャルメディア上における存在感を出す上でも非常に重要だと重要だと思考されるようになって来た。
途中ではバイトテロやバカッターなどと評される事件や事故が発生していたりもするが、根本的には中の人を中心とした運用が、個人アカウントの実名顔出し&社名だしといった運用を呼び込むための試金石であったことは否定できない。
おそらく、今後も若い事業者を中心にこの流れが止まることはないだろうし、若者たちはキラキラとした創業間もない事業者たちにやる気と勢いを利用されて個人アカウントに誰も知らないような企業名を記載する流れは今後も引き起こされていくだろう。
しかし、それは果たして誰の資産となるのか。
会社は法人であり、株式会社なのであれば株主の資金から成り立っているはずで、その保有する資産が個人に帰することはない。
仮に社名を出す、所属している人間が顔と名前を出すといったことを会社のメールアドレス経由で行っているのだとしたら、それは会社の資産である。つまり、いくら個人名を出したところで、そのアカウントの名義人は法人なのだ。
「いやいや、メールアドレスなんて変えられるんだから、別にそこまで厳密にいうことはないでしょう!」
そんな風に述べる人たちもいるだろうが、少なからず会社のメールアドレスによって開設されたアカウントで、会社名を出して運用をしている以上は、そこについたフォロワーは会社の資産だといえる。
仮に、そのスタッフが退職・離職してしまった場合には、そのアカウントについていたフォロワーはどちらに所有権があるのか。おそらく、その内これによって係争するような事案が発生するのではないかと見ている。
会社側は会社側で、安直に「顔と名前出して運用しようよ、会社のアドレスで立ち上げていいからさ」みたいにフランクな誘い方をすることがなきよう、最終的にどちらへ権利があるのか。退職する際の扱いはどうするのかといったことを明確にする態度や姿勢が必要であることは付け加えておきたい。
労働条件内に記載してもいいものであるとぼくは考えているが「そんな面倒なことを工数かけてやりたくない」と思うのであれば別にいうまでもない。だが、仮に会社の資産であるとしなくても、社名を出している以上は「公式」扱いとなる旨は承知した方がいいのは間違いだろう。

▷ ケアまでを含めて体制構築を

社名を出して運用をする以上、会社としての体面がある。
どこまでは許容され、どこまでいったらアウトなのか。それらは個人の裁量に任されるのであればあるほどに基準や内容をすり合わせることが必要だ。それを面倒に思うのであれば、少なくとも社名を出して運用してもらうべきではない。
公式アカウントにおける中の人運用も同様で、個人ではなくチーム体制を構築することにより認識の齟齬などを回避できる可能性がある。その分、属人的な尖った表現などができなくなり希薄でどうでもいい内容に終始してしまう可能性があるのは諸刃の剣だといえる。
また、どこまで出すのか、どこまでなら許容範囲なのかを決めるのであれば、ケア部分まで気を配る必要がある。
インターネットを利用して情報を発信する以上はフォロワーが増えれば増えるほどに、確認するユーザーが増えれば増えるほどに、会社側のケア体制も整えていく必要だ。それも構築せずに、名前と顔を出させておきながらネット上でボコボコにされた際に「何の対策もケアも講じられません」ということは問題外であろう。
個人の顔と氏名は、根本的には会社の資産ではなく個人に帰属する肖像権である。
それを会社の広報媒体や広告媒体として利用するのであれば、相応の対価が支払われるべきであり、ソーシャルメディアを「楽にできること」だと考えているのであれば即座にアカウントを削除してしまうべきだ。
個人で媒体を設けて発信し、反応をもらうために試行錯誤することは決して容易なことではない。広報は経費の削減や売上の押し上げへ効果がある立派な業務であり社会活動である。
それを認識もせず、ただただ楽そうだと安易に結論づけてしまうことは、そもそも会社としてネットを扱うだけの器量がないことを社内に向けて露見しているのと同義であり、それが許容されるような組織風土なのだとしたら、かける工数に見合った対価を得ることなど不可能だろう。
法人として構えるのであれば、最低でも上記の事柄を踏まえた体制の構築をしてってほしいと願うばかりである。
ではでは。
えんどう

▶︎ おまけ

▷ 紹介したいnote

えとみほこと江頭美帆さんが2017年に書いた記事だが、本稿の冒頭から序盤にかけての内容を完全に網羅している内容である。改めて、本稿を書く際に読み返してみたら補完的にというか全面的にえとみほさんの記事を読んでから、ぼくの記事を読むといいかもしれない。ただ読んでほしいだけなのは秘密である。

なるほど、モデレーターかと膝を打った。個人が媒体化することが必然的になったいま、それが全てではないとは思うものの、個人が個人に紹介や仲介をすることが自然とできるようになったとみれば、そう考える方が自然だといえる。

結局、こうやってけんすうさんが記載していることを読み返してみると、ぼくが書いていることなんて誰かの二番煎じや三番煎じなのだろうことを実感する次第である。だからといって書くことをやめてしまったら、それこそ思考が停止してしまう危機感があるのでやめないが。。。

▷ 本noteに関連する紹介したい書籍

ぼく自身、インフルエンサーの投稿した内容から周知した商材や知識もあれば、実際に購入に至ったこともある。それを善し悪しだと述べるつもりはないが、少なからずとも個人が媒体化する以上は避けて通れない世界線である。それが嫌なのであればネットを遮断すべきだ。

▷ 著者のTwitterアカウント

僕の主な生息SNSはTwitterで、日々、意識ひくい系の投稿を繰り返している。気になる人はぜひ以下から覗いてみて欲しい。何ならフォローしてくれると毎日書いているnoteの更新情報をお届けする。

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