卒業式や卒園式でみる涙は誰のため

卒業式や卒園式でみる涙は誰のため

2022/3/26

枕にかえて

どうも、えんどう @ryosuke_endo です。
先日、我が家の次男くんが卒園を迎えたのだが、そこで母親を中心に保育士さんたちまで涙を流すような事態に、なんというか腹落ち感がなかった。
今回のタイトルは、それがいいとか悪いとか語るのではなく、そもそもなんで涙が出てくるような、涙を出すような式典というか行事というか企画にしてしまってるんでしたっけってことからつけた
ぼくが傍若無人で血も涙もない人間なのかと問われたら決してそうではない。むしろ、十二分にウェットで湿りきっているだろう、と妻さんに述べたら「どこがだ、このド低脳が」と罵られたので「ヒィ...!」といいながら逃げてきてタイピングしている。
そもそも卒園式や卒業式の狙いとは何なのだろう。相応の年齢になったら自動的に行われるそれだが、一体なにを目的に懸命な中の人たちの準備期間を確保しつつ執り行われるものなのか。
一保護養育者の観点と、一時期専門学校とはいえ卒業式を運営する中の人としての経験を踏まえた立場から考察してみたい。

▶︎ 卒業証書は授与しなければならないが...

卒業式は「行わなければならないものなのか」。仮にそうなのだとしたら、なにがそうさせるのかを知らなければならない。
卒業証書については、学校教育法施行規則(昭和22年文部省令第11号)の第58条などに規定があり、「校長は、(各学校種)の全課程を修了したと認めた者には、卒業証書を授与しなければならない。」とされているが、卒業式を執り行わなければならないとは書いていない。
法律的には卒業証書を渡せばOKであり、そのための式典として卒業式を行わなければならない根拠法は存在しない。学校長から教室で手渡しでもいいし、郵送でも構わないのである。
ここからいえる確かなことは、卒業式は大人たちが見せ物としての子どもたちの成長とやらを楽しむために企画・運営されるものだという、どうしようもない気持ちにさせられる結論である。
当事者である園児・児童・生徒たちは周りの大人たちから囃し立てられるからこそ「やった方がいい」と誤解をするのだろうが、よくよく考えてみれば誰のためにやっているのかわからなくなる。

▷ その涙は誰のために流すのか

今回、我が家が参加した次男くんの卒園式でも母親を中心とした保育士たちからも涙を流す様子がみられた。
こんなことを書いたら怒られるのだろうが、卒園式や卒業式が上記のとおり、開催の必要性や必然性がない企画行事なのだとしたら、そこで流される涙は誰のために流されるものなのか。おそらく、おそらくだが、自分たちなのだろう。
母親なら母親の、保育士なら保育士の、父親なら父親の立場から卒園式に至るまでの過程を振り返り、自らや周囲の家族などの利害関係者の立ち振る舞いや苦難苦労を思い出しては慰労したい気持ちが溢れ出してきた結果として感情が昂り涙となって発露されるのではないか。
そんな話を妻さんにしたら怒られるのは当然である。当然だ。そんなことを聞いてくる時点で、妻さんの卒園式に至るまでの過程を侮辱するような態度になりかねない。しかし、そこで躊躇してはいけないのではないか。こんなところで怖気付いていて、なにがモブキャラだ。ここでなにもできないのであればモブキャラと自称することを、それこそ卒業すべきではないか。
そう奮い立たせ、ぼくは存分に勇気を振り絞りながら彼女に問うた。
上記の内容をそのままだ。
すぐに後悔した。話を進めていく最中、彼女の表情はみるみると険しく、確実に憤怒の感情を抱きはじめていることがわかる。「これはまずい」と気づいてはいたが、止まることはなかった。それどころか、話を最後まで終える頃には満足感すら抱いてしまったではないか。
結果、ぼくは心をズタズタにされるような、とてもここにも記載できないようなステキな言葉を吐き捨てられてはボロ雑巾のような状態になってしまった。
だが、彼女がそこまで憤怒している時点で芯を喰っているのだろうことがわかる。やはり卒業式や卒園式は当事者である園児・児童・生徒のために開かれるのではなく、その周囲にいて存分に利害関係のある大人たちのために開かれるものなのだ

▷ 園児や児童、生徒が決めるなら

上記してきたように、結局は存分に利害関係にある大人たちが自身や家族を労わることや卒業式で見せてくれるであろう逞しい、もしくは可憐な、はたまた「仕上がった」状態を見たいがために企画・準備・運営されていることはわかった。
しかし、そこに当事者である園児・児童・生徒たちの能動性があるのなら、まったく問題のないことである。そう、大事なのは当事者がどう関わっているのか、なにを考え、式典によってなにを得るのかだろう。
もし、仮に。仮にだ。
卒園をする園児たちには少し敷居が高いかもしれないが、卒業するものたちや在校生として残るものたちが「どんな卒業式にしたいのか」を自分たちで企画し、準備しては当日の運営を行う点まで持っていけるのだとしたら、それほどに意義のある卒業式はない
現実的には次の進学先や就職先などの関係で学校付近にいることも叶わず、参加自体が不可能な者もいるだろうし、次の段階へ進もうとしているのに卒業式に力を入れて取り組めるものなどいないだろうと思ってしまうこともわかる。
だが、繰り返しになるが本質的には卒業証書を渡せばOKなのだから、別に行わなくてもいい。やる必要がない以上は開催における必要性もなければ必然性もない。
だったら、開催するだけの意義など果たしてあるのだろうか
「教育上は意義のあるものである!」とか「在校生がみることで一年後から数年後の姿を想像し、それを目標にすることができる!」など、中の人たち的には言い分があるのかもしれないが、一保護養育者としては「そこまで周りの大人たちだけが盛り上がっても...」と冷ややかな目で見たくもなる。
そんな風に考えてしまうからこそ、ぼくは大した社会性の乏しいダメ人間なのだろう。

▷ 誰も「育てられない」し「成長させられない」

根本的なことをいえば、ぼくは自分以外の誰かを成長させられると思っていないし、ともに暮らす子どもたちにすら「育てられる」だなんて思ったことがない。いや、思えない。
ぼくみたいな中途半端な人間は自分以外の他人を生きながらえる支援をすることぐらいはできても、成長だとか育つなんてことは当人が勝ち得るものであって他人が提供できるものではないと考えている。
それを年齢や体格を利用した上から目線で弱い存在である子どもたちに向けて「おれが育ててやってるんだ(えへん」とか「わしが成長させたのじゃ(おほん」のような態度を取ることは、それこそ教育上適切なのか。
他人の人生にそこまで影響力を持っていると自覚することほど勘違い甚だしいことはないのではないか。自分とはそんなに尊大で貴重な存在なのだろうか。少なくとも、ぼくはぼくだけで手一杯だ。
そう考えていることが根底にあるからこそ、大人たちが仕上げた園児や児童、生徒の姿を見たところで特に感動することもなければ情動的に感情が揺さぶられることもないのだろう。
もちろん、今回の次男くんの卒園式に参加してみて、彼の態度や姿勢などを振り返りもしたし、式の中でずっと「自分で決めたこと」を貫徹した逞しさを目の当たりにできたことは非常にうれしかった。
そこに彼の能動性が出ていたからこそなのだろうが、それは別に彼だけではなく、他の園児たちにだって共通していた。中には自身の感情が昂ることを抑えきれずに涙を流す男児もいたし、彼の姿には思わず心を揺さぶられた。
そういう園児や児童・生徒がいる一方、いわれるがまま、流されるがままの姿をさらけ出し、いつも通りの姿を見せる者もいる。なるほど、ここは能動性を見極める舞台なのか。そんな風に思うと、なんだか溜飲が下がる。
他人がどうこうではなく、自身で能動性を見出せているものがいるかどうかを見極める舞台として卒業式や卒園式が存在しているのだとしたら、それはそれで残酷だ。
残酷だとは思いながらも、そうみると考えなければならないことが出てくる。それでいいのだろう。
後半の話はさすがに妻さんへ話せなかった。どうやら、ぼくは能動性を見出せていない部類のものみたいだ。
ではでは。
えんどう

▶︎ おまけ

▷ 紹介したいnote

彼はこの6年間、一日だって成長することをやめなかった。
この一文が示してくれている通り、成長を勝ち取っているのは彼らであり、年齢と体格が上だからといった理由で大人ヅラする我々ではない。

写真っていいな。そう思える一枚だ。ぼくは決して美的な才能や特性を有しているわけではないのだけど、制作者が優秀であれば「いいものをいい」と受け取れてしまえそうな勘違いをすることができる。つまり、優秀な制作者は受け手を誤解させることができる。

我が家も保育園には大変お世話になっている立場であり、保育士さんたちの奮闘を目にしているため否定する感情は湧いてこない。懸命に園児たちに向き合う保育士たちは本当に大事な職業だと思うが、それが報われない報酬体系などは見直そうにも見直せないだろう。悔しいが希少性が乏しいのだ。

▷ 本noteに関連する紹介したい書籍

子どもたちとの生活をはじめ、こうやってnoteを書くようになったのも相まり、話を聴くことを大変重視するようになった。そういった意味でも、この本を読み進めるにあたっては随分と腑に落ちることが多かったのでオススメしたい。

▷ 著者のTwitterアカウント

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