SNSにおけるアカウント運用の属人化問題は「担当に任せられるか」どうか

SNSにおけるアカウント運用の属人化問題は「担当に任せられるか」どうか

2022/4/5

枕にかえて

どうも、えんどう @ryosuke_endo です。
昨今、大企業であろうが中小規模事業者であろうが、”いかにして自社商材を周知するか”に悪戦苦闘している。ネットが普及し、個人の媒体化が顕著となった現在において「発信をしない」「発信をできない」企業や個人は「ネット上だけに限らず物理的にも存在していない」かのように扱われるようになってきた。
あらゆる物事が可視化されているような誤解を抱くユーザーが少なくはない。そのためネット上で自身のアカウントを通して画面に表示される情報は何もかもが事実に基づくものであると考えてしまう傾向にある。
街中にある飲食店や医療機関は口コミや評価に晒されるようになり、その評価が適切なのか不適切なのかを判断する隙を与えてくれない。もちろん、何にも評価がないよりは悪評だとしても評価を評価を与えられている事業者の方が信頼が置けるのは事実だろう。
今の時代においては情報を提供していない=怪しいと捉えられてもおかしくない時代に突入しており、それがない事業者は「誰からも相手にされない寂しい人間」であると受け取られても仕方のないような評価基盤ができあがってしまった。
それを否定したところで何もはじまらない。粛々と受け止めつつ、いかにして自社評価、もしくは自社商材に対する評価を上向かせられるのかと向き合い続けなければならない。
その中で、各種ソーシャルメディアに関する運用は日常的に担当者の頭を悩ませるところではあるが、組織である以上「属人化すべきかどうか」を問われるし、それ次第で運用の内容や向き合い方が大いに変わってきてしまう。
今回はわかるようでわからないソーシャルメディアの運用に関する属人化問題を扱ってみたい。

▶︎ 存分に属人化すべきである

結論を述べるとしたら、存分に属人化すべきだ。
「いやいや、組織で運用するのだから属人化してしまったら離職とか部署変更などに対応できないじゃないか!」
そんな声が聞こえてきそうなものだが(理由については後述するが)むしろ、属人化させずに運用をしたとして、そのアカウントに「公式な情報を発信する以外に何があるのか」にはどう答えるのか。
あくまでもこれはぼくの意見として主張しているだけで、すべてのアカウント運用者がそうすべきだと押し付けるような態度も取らない。
ただ、一点考えて欲しいのは、どこかの飲食店舗に足を運んだあなたの目の前にいる店員が3名いたとしよう。すべての人が同じ髪型、同じ体型、同じ表情で通り一辺倒なことばを使用した接客をしてきたとしたらどう感じるか。
属人的なアカウント運用の脱却とは「誰でも同じような水準で、同じ品質の対応が受けられること」を目指すものだが、誤った金太郎飴になってしまわない保証などどこにもない。
誰でも対応できる=誰もがミスをしない体制だが、結果的にミスを許容できない硬直的な体制や制度となってしまい、ミスを恐れるがために能面をつけた店員のように人間味を捨てることになってしまいかねない。
「それでも企業として、組織として”正しい情報”を出したらいいじゃないか」と正論っぽく聞こえる指摘したくなる気持ちはわかる。
ただ、そんな企業目線の発信など誰が耳を傾けたいのか。はたまた投稿されている文章や画像を目にしたいと思うのか。そんなもの、誰もみないことを前提にしなければならない。見るはずがないのだ。
なぜなら、企業目線で企業が発信したい、受け取って欲しい情報など興味ない。企業の立場で「正しい情報を」といくら胸を張ったところで生活者側が求めていない情報は届かないし、届けられたくはない。企業目線だからだ。

▷ 取引先の”担当者”が変わることはあり得る

ただ、企業側がその姿勢を保つこと自体は捨てるべきではない。企業側は常に真摯に生活者に向き合いつつ、自社内に存在する「他社にとって対象となる生活者」を踏まえて出す情報や出さない情報を取捨選択すべきだ。
各種SNSで発信する情報の根幹は、そんな風にして企業の姿勢からもたらされるものである。だからといって企業アカウントの運用がガッチガチのガイドラインに沿った運用であるべきなのかというと、それは別の話だ。
属人化を避けるべきだとする理由は、部署異動や離職などで担当者が変わってしまうケースを想定していたり、「その人しかできない状態」では運営における欠点を露出することにもなることを想定しているからだろう。まさに運営者目線、企業目線だ
だが、たとえば取引先の担当営業が離職や部署転換によって配置が変わってしまうことは企業として活動をする中で存分にある話で、SNSでもそれが起こるだけの話だ。SNSだからといって特別に毎日、常に露出されていなければならないわけでもなければ、同じ体裁で繕っていなければならないわけでもない。
自社の担当者が変わったことで「取引が円滑になった」とか「安心できるようになった」といった前向きな評価をすることもあれば、逆に「前の担当者だったら...」や「以前はこうだった...」といった具合に後ろ向きな評価に変わることだってある。
SNSでそれが起こることの何がいけないのか。むしろ、属人化していることを全面に出しつつ、異動や部署変更、離職などを理由に中の人が変わるのであれば、それを宣言してしまえばいいだけの話だ。
属人化させない運用がいけないと述べているのではない。それが可能な人材が確保できていて、それなりに回すだけの工数を捻出できるのであればそうすべきだろうし、それが叶うのであれば救われる担当者は数多くいるはずだが、現実としてはそんな体制を構築する余裕などない。

▷ 属人化と私物化の境界線

繰り返しになるが、ぼくはSNSをはじめとするソーシャルメディアの運用を属人化すべきだと考えているが、私物化すべきだとは考えていない。
属人化によって個性が出ることは公序良俗の範囲で存分に行われるべきで、それがあるからこそ個性につながると考えてはいるが、それによって集積した反応やフォロワーなどを自らのスキルや能力と勘違いし、個人的な承認欲求を満たされて悦に入り込むことはすべきではない。
何が違うのか。
属人化したアカウント運用は、そもそも自分が組織や店舗の一員であることを前提にしつつ、自らの発信内容が”公式発信”として受け止められることを自覚している点にあり、私物化したアカウント運用は当初意識できていたかも知れないが、徐々に薄れていってしまい姿勢や態度が軟化どころか液状化する。
私的な内容で私益を満たすためにDMを送ることが発生しているのであれば私物化しているし、物理的な店舗で接客をするサービス員としての立ち振る舞いが限度を超えたものとなった場合には、その人に店舗に出ることを任せるわけにはいかない。
しかし、だからといって小売事業を営む店舗で店員が顧客と私的な内容で会話をしてはいけないわけではない。信頼関係が構築されているのであれば、会話の中に垣間見えたとしても問題になるとはいえない。むしろ、共有できる部分があるからこそ好感を抱けることだってあるではないか。
立ち位置や役割を濫用し、個人的な利益を貪るような姿勢をとったり個人が占有するような状態が見られれば問題であるものの、そうではなく企業発信としての許容を超えていない、もしくはアカウントキャラクターとして成立するのであれば何の問題もないだろう。
結局は担当する人間に任せる他にないのだが、公式で硬い内容と柔和な人格が露呈するような投稿も含めて「キャラクター」であり「人格」なのだから、ある程度、担当者に権限を移譲した方がいい。

▷ 顧客の入り込む隙は残すべき

属人化すべきだが私物化すべきではないと述べてきたが、企業然としないよう意識しすぎた結果、企業アカウント同士での交流を優先させすぎると顧客はドンドン冷めていくことも念頭におくべきだ。
仮にあなたが訪問した店先で店主が取引先と談笑している様子を目の当たりにしたとして、それが心地よいのかというとそうではないだろう。ましてや、本当なら話しかけて解決したいことがあるのに気をつかって話しかけられないのではないか。
無論、そんなの関係ねぇ!と話しかけられる人もいるだろうが、あまりにも露出的に企業間やりとりが公然とされている状態は顧客の立場からすると心地のよいものではない。上記してきた私物化すべきではないという点に通ずるが、常連だからといって他の客を蔑ろにしていいわけではないのと一緒である。
もちろん、常連客は大事だ。その店にとってのファンなのであるから、大事な顧客であることに間違いはないし、ある程度”ひいき目”を与えられることは何も悪いことではない。ただ、行き過ぎた態度を他の客の前でもやるのかどうかなのだ。
多くのフォロワーがいることは素晴らしいことだが、それ以上に大切なことは明確にファンであることを公示してくれるユーザーがいることで、その人たちとの関係を育むことを担っていきたいし、担えるのが公式アカウントの運用である。
その点において、ぶっきらぼうな硬式アカウントでの運用では寄り付かないし、企業目線での正しい情報は偏った情報として受け止められることを認識しておくべきだろう。硬い部分と柔和な部分を公序良俗ならびに企業態度の範囲内で出し引きできるのであれば、存分に発揮していくべきだ。
それらも踏まえて、企業側は「担当者に任せられるのかどうか」が肝心様であり、それ以上でもそれ以下でもない。任せるのであれば常軌を逸脱していなければあーだこーだいうものではない。試行錯誤をしているのであれば、それに任せてドンドンとやっていってもらうのだ。
一線を越えて私物化していきそうになった際には注意したらいいだけで、それ以外は担当者としての力量を大きく伸ばしてもらうことに注力したらいい。
米国ではSocial Media ManagerなるJobが確立されているが、日本でもそんな風になっていってほしいと思いつつ、既にアカウント運用を任されている人間であれば実質的にはそんな風に働いている人もいるだろう。この記事から、そんな人が少しずつ増えることを期待したい。何の影響力もないけど。
ではでは。
えんどう

▶︎ おまけ

▷ 紹介したいnote

SNSを好きで入り浸っている人もいれば、「よくわからない」と距離を置く人もいる。0か100かといった議論に意味はなく、どれだけのグラデーションに対応できるか否かなのだ。


情報があまりにも早すぎるのが現代の特徴でもある。だからこそ、あまりにも人気取りをする様な媚びた態度を取る場合が少なくない。SNSも同様で、あまりにも媚びた態度を取りすぎた結果、言いたいこともいえない状態になってしまう。遅さを意識することも非常に重要な視点である。


そう、中の人は企業の顔である。外部からヘッドハントされたとしても文句はいえない。だから私物化してはいけないのだけど、私生活も何もない役員が会社の顔として機能しないのであればすげ変えてもいいのではないかとすら思ってしまう。


▷ 本noteに関連する紹介したい書籍

この本自体が各種媒体での露出を獲得しているためいうまでもないだろうが、いかにして認知してもらうとか露出してもらうのかといった点をフォロワー稼ぎのためにするのではなく...なんてことを考える機会になるはずだ。フォロワーが多ければいいものではない。


▷ 著者のTwitterアカウント

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